『大阪、ミナミの高校生1、2、3』終演しました。
寝なきゃいけないのに考え事をしてしまう。
あいが言っていたことだ。
あいに言ったことと同じことを自分に言わなきゃいけないんだろう。
「考え事をずっとしていたら疲れるから、中断して寝ることにするって選択もたまにはしなよ。」
『大阪、ミナミの高校生1、2、3』終演しました。
三年間で出会った生徒たちとお別れしてしまったようで寂しい。
二度と会えない人もいるんだろう。
現役部員とは今年か来年、『大阪、ミナミの高校生4』をやろうと話したけど、
それはわたしにとっては再スタート。
ひとまず一旦、ピリオドがついた。
客席をいっぱいにできなかったのは悔しかった。
自分に足りないものもいろいろわかった。
沖縄での公演は是非再チャレンジしたい。
島元先生が「沖縄での貧困の問題は深刻です」と言っていた。
その言葉を採集にきたような自分もいて、そこに嫌気はさすが、でもやっぱり聞けて良かった。
でないと沖縄の気候と沖縄の人たちの懐こさや親切なところに見えなくなってしまいそうだった。
アルバイトの時給は安かった。物価は東京と変わらない。肉類は安い。
結婚は聞いたところ早い人がやっぱり多いのかな。出産も。
新垣さんによると、ズボンの女子高生も、スカートの男子高生もいるらしい。
松山も少し見た。
公演が終わってしばらくして、元大阪の高校生のりゅーとが、「高校生の頃は生きるのが楽しかった。明日が来るのが待ち遠しかった」とツイートしていて、そのことに動揺する。
わたしはもうずっと、高校生の頃の楽しい時間が、彼らの毒に変わってしまうんじゃないかと怯えている。
人生いつでも楽しいわけじゃない。
楽しかった時間、きらきらと美しかった時間が、もう得られないこと。それによって過去のきらめきが、自分自身に突き刺さってくること。
そんな苦しみは味わらせたくない。だけど過ぎ去った時間をもう一度与えることはできない。
「生きる力」って一体なんなのだろう。
意外とそれは、ぼんやりと何も考えず、遠くへと歩き出す力のような気がする。
感じやすい子、考えやすい子には、生きること自体が試練だ。
”大学生になりました。朝九時に始まる授業のために五時半に起きて六時半に家を出ます。電車に乗って乗り換えをして乗り換えをして乗り換えをして大阪駅に着きます。大阪駅に初めて着いた時みんなノロノロ同じ方向に進んで行くのを見て「うわ、ゾンビや」と思いました。わたしも今日からゾンビの一員になるんかーと思いました。”
”わたしは母を殴ったことはない。謝ったことはあるけど、謝られたことはない。でも毎日ご飯作ってくれるし洗濯物だって学費だって出してくれてて、不登校のことが申し訳なさすぎて後ろめたくて、怒りとかはなくて、怒っていいのかわからなくて、ただ、あー勝たれへんな、っておもった。”
”ぼくも今は大学生なんです。もう、大阪ミナミの高校生ではなくて、京都上賀茂の大学生です。大学で、ぼくは友達とバスケをします。休みの日とかに、ラウンドワンとか、体育館とかでバスケします。ぼくの好きな場所はスポーツのできる場所です。もともとスポーツは好きなんですけど、スポーツしてるとなんか青春!って感じがします。精華高校演劇部やった時に全国をまわって演劇をやって、それが青春じゃなかったってわけじゃないんですけど、あの時とはまた違った青春を感じています。”
”お前が家から出られない日には、俺が外に雪降らしたる。”
今回考えてもらったモノローグと、セリフ。もっといっぱいあるけど、一部だけ。
さようなら。でもまた演劇やれる時にはやりましょうね。
沖縄にも行ってね。地図で場所覚えてね。沖縄には面白いラッパーがたくさんいるから、次に行くときはそれも聞いてね。