普通という言葉の使いづらさよ
普通の人間なんですよ、オノマって。普通にミックスだし、普通にシェアハウス住んでるし、普通に劇作家で、普通に転んでる人がいたら助けたほうがいいと思うし、普通に同性婚はできた方がいいと思っているし、普通に現代日本の結婚制度には疑問が多いです。普通に、男女間の恋愛が「普通」と話している人を見ると「異常」と思いますしね。普通に、将来は不安です。普通にメンタルクリニックはあちこち通って何が得意分野の医者なのかデータをとっています。
まあこういう、わたしにとっての普通は、誰かにとっての「常識外」もしくは「思考の外」にあることが結構あって、その度に「なんやねん」という気持ちになります。なんでおまさんの常識がわしに適合されることになってるの?という気持ち。人それぞれ、そこには尺度があるだろ、びっくりすな、の気持ち。
あなたはめずらし人間なので、話してくれなきゃわからないと言われるとめんどくせ、と思う。「相互理解」と言われると嘘つきーと思う。なしてこっちが自分のシステム開示せなあかんねん。あんたのシステムいらんねん。話すなら林檎の一個か二個くれなきゃわりに合わん。
そんなわたしですが、お相手から「わたしの常識のこともわかってよ」と言われると嬉し、と思う。それはわからなきゃな、と思う。だって相互理解だから(嘘つきちゃうんか)。いろんな常識があることは楽し、と思う。
この辺の感覚、何がなんでこうなってるのか、わからないけれどこうなっている。そのうちどうにか、納得できる分類を作り出して並べる。
自分の整理
いろいろ考えて、ほんで結局こっちのブログを使おうと思った。
今年のわたしは狭量である。人のせいなのか、ツールのせいなのかは正直わからない。
ぼんやりと過ごす時間が自分にとっては大事で、その時間を確保するにはどうすればいいのかを考える日々。
オーバーワークなのは間違いない。しかしオーバーにワークしないと、ごはん食べられないしなぁとも思う。
ここから、日記モードから、ラジオモードに変化。
「パンバラ」終演しました。ご来場くださった方々、ありがとうございました。称賛も批判も愛してるよ。(←笠原桃奈さんからの引用)
2022年にツアー途中で公演中止になってしまったから、しっかり終わらせられた安心感と、全員出演し続けられるようにカンパニーで気遣いあえたことへの「健闘を称えたい!」ような気持ちが大きいです。まず感謝したいのは、スウィングの松尾音音さん。「何かあっても松尾さんがいる」と思えることが、精神的な健康につながっていました。
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松尾さんの音音色チャンネルより。松尾さんの感想や、心掛けていたことなど。
松尾さんへ。決まりきりがいつなのか、わかりにくい作り方でごめんね、、
これは本当に気をつけておこう。。演出助手と演出と話ながら気をつけておこう。。
あと本当にありがとうございました。舞台が好きな松尾さんについてもらえてよかった!
あと、今回は歌の基礎的な訓練を取り入れた方がいいんじゃないかと後藤浩明さんからご提案いただき、歌唱のワークショップを受けたり、歌唱指導の片桐雅子さんにトレーニングと歌い方の提案をしていただいたり、後藤さんによる譜面での変更もあったりして、音楽面はだいぶ変化していました。twitterの感想を見ていたら、キーが変わっていることに気がついている方もちらほらいらっしゃいましたね。みなさん、耳がいい。
まあそれで、公演はよかったんです。その後、ままならない自分のことを考えるんですよ。
上田、富田林、横浜ツアーって、なかなかニッチ。それを組んでしまう自分のことを考えるんですよ。「こいつ、売れる気ねえな」って。
どうも、演劇を使って、その地域の人たちと(深めに)交流をする、というのがやりたいようで、ヤドカリハウス(https://note.com/yadokarihouse22)の取り組みをしている犀の角、精華高校との関わりによって土地柄を知っている大阪南部のすばるホール、ここは「パンバラ」を携えて行ってみたい場所でした。実際に、上演ができてよかった。
でも、演劇として多くの人に見てほしい!と思うのなら、もっと観劇人口が多いところも一箇所入れておいた方がよかったね。。「自分」で考えるだけじゃなく、「興行」として考えなきゃな。。劇団メンバーもいるんだしさ。。みたいな反省がねー、現状あります。
やりたいことがやれる劇団になるまで、多くの劇団は、大変な道を歩んできてるんだなぁとも思います。もうちょっと、収支トントンになるように、年間(経済)スケジュールを組まないとな。。あとどの地方でも、演劇を見る余裕のある人は少ないようだから、政治家は日本経済を立て直してくれ。。緊縮経済やめてー。あと消費税分を助成金から弾かないでくれ。。よろしくお願いします。
ラジオモードおわり。ブログも終わり。本当にいつもありがとう。また会いましょう。
しんねん
気がつけばずいぶん遠くまで来てしまった。
毎日耳に海の音が聞こえる。砂浜で聴く海の音。
寄せては返す、日本の、太平洋の海の音だ。
わたしの数少ない幻聴のひとつ。この音が聞こえる時は調子が悪い。だけどこの音が嫌いではないのだ。
2月と3月は、高校生と演劇をやる。そのあとは6月に演劇をやる。
今年もよろしくお願いいたします。
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2021年は何も書かなかったみたい。精華の高校生と関わらなくなると、このブログは書かなくなる。
「卒業した」という言葉を発見した。あの子とあの子とあの子。
おめでとう。よく頑張った。
これからも、ちょっと見ています。
それぞれ孤独じゃなさそうだから、きっと大丈夫。人生を応援しています。
星々
星のようなことをしたいと思った。ひっそりと瞬いて、「わたしはここよ」というような。
人間とは距離を置いて、でも人間のことは見ていて、見られてもいて。
会いたいような気もするけれど、光しか届かないくらいに遠さがある。
だけど光だけはググッと近づけて、誰かを勇気づけられる。
ほんとうにすてきなひと
案外、こたえていない。
ブログを見たり、写真をいただいたり、準備ができていたのかもしれない。
こちら側にそんな準備をさせてくれるのもやはり、やさしいひとだったのだと思う。
いらついていた姿、舞台上でカレーを食べていた姿を思いだす。
あの時、すてきなひとは30歳だと言っていたように思う。
初めてご一緒した現場だった。
わたしは演劇の製作に関わり出した当時、上背はあってもとても小さな女だったから、すてきなひとはお釈迦様のように手のひらを地上に置いて、わたしはそこに乗せてもらって、そうやってお話をしてもらっているような気持ちだった。
いらついているときは珍しい。
たいていはやさしく、ひとを気づかっていた。
つくづく、いらつかせてたOさんはすごいと思う。
この世にいないってどういうことなんだろう。わたしにはよくわからない。