しんねん
気がつけばずいぶん遠くまで来てしまった。
毎日耳に海の音が聞こえる。砂浜で聴く海の音。
寄せては返す、日本の、太平洋の海の音だ。
わたしの数少ない幻聴のひとつ。この音が聞こえる時は調子が悪い。だけどこの音が嫌いではないのだ。
2月と3月は、高校生と演劇をやる。そのあとは6月に演劇をやる。
今年もよろしくお願いいたします。
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2021年は何も書かなかったみたい。精華の高校生と関わらなくなると、このブログは書かなくなる。
「卒業した」という言葉を発見した。あの子とあの子とあの子。
おめでとう。よく頑張った。
これからも、ちょっと見ています。
それぞれ孤独じゃなさそうだから、きっと大丈夫。人生を応援しています。
星々
星のようなことをしたいと思った。ひっそりと瞬いて、「わたしはここよ」というような。
人間とは距離を置いて、でも人間のことは見ていて、見られてもいて。
会いたいような気もするけれど、光しか届かないくらいに遠さがある。
だけど光だけはググッと近づけて、誰かを勇気づけられる。
ほんとうにすてきなひと
案外、こたえていない。
ブログを見たり、写真をいただいたり、準備ができていたのかもしれない。
こちら側にそんな準備をさせてくれるのもやはり、やさしいひとだったのだと思う。
いらついていた姿、舞台上でカレーを食べていた姿を思いだす。
あの時、すてきなひとは30歳だと言っていたように思う。
初めてご一緒した現場だった。
わたしは演劇の製作に関わり出した当時、上背はあってもとても小さな女だったから、すてきなひとはお釈迦様のように手のひらを地上に置いて、わたしはそこに乗せてもらって、そうやってお話をしてもらっているような気持ちだった。
いらついているときは珍しい。
たいていはやさしく、ひとを気づかっていた。
つくづく、いらつかせてたOさんはすごいと思う。
この世にいないってどういうことなんだろう。わたしにはよくわからない。
だれかに言葉で救われたい夜に
それはわたしじゃないかもしれないけど、今この夜にあなたを励ましたいのはわたしだけなんだから諦めてよ。
本当はちゃんといるんだよ。あなたの背中を叩いて、よくやってるね、とか、何はともあれ生きてるね、とか、好きだよ、とか言ってくれる人。
でもね、出会えないからね。人間って多すぎるよね。多すぎて、誰がどこにいるのか、誰と出会えばいいのかわからないからね。だからあなたは今ひとりで、スマホかパソコンの画面を見ているんでしょう。
"ネットの海で縦横無尽に人を探すより、現実で声をあげて手探りで誰かを捕まえた方が早いってことはわかってるんだ。だけど現実って手も足も出ないんだ。手も足も出ない場所が現実なんだ。自由かもしれないって思える場所がネットの中で、だって操作方法が簡単だからさ、現実の肉体や声は、操作方法が難しいからさ。"
そんな風にあなたは言うかもしれない。
"だれかわたしをスワイプして。わたしをどこかに連れて行って。できたら楽しいところに、こわい人が居なくて、こわいことが起こらない場所に連れて行って。動けないわたしをシュって、マッチを擦るみたいにわたしを指で擦りつけて、そうしてどこかに連れて行って。”
こんな風にも言うかもしれない。
まあでもごめんね。
わたし、不特定多数の人たちを励ます気はないんだ。
わたしが本当に励ましたいのは、わたしの知っている夜の中にいる数人の人たちだけなんだ。
でももしかしたら、そんな言葉にも力があるかもしれないから。
特定のだれかに向けた言葉が、他のだれかを救うこともあるかもしれないから。だからなんとなく、こうやって、書いておく。
ずっと夜の中にいる人。このブログまでたどり着いているかしら。
あなたは幼い頃からわたしの憧れ。今だって、あなたはわたしの憧れ。あなたには意味がわからないかもしれないけれど。
あなたが学校に行かず、外に出なくなった頃。わたしの家に来て、わたしの親と話したり、祖母と話したり、そんな親族巡りをしていた頃。わたしは美しいひとは、大人にうまくなれないし、美しいひとにとって外の世界はきたないんだって理解した。
わたしはきたない空気を吸って生きていけるけど、あなたは美しいからそれができないんだって理解した。
わたしは自分の凡人性を呪ったりもした。あなたのようになりたかった。
あなたが年をとろうと、あなたの体型がどう変わろうと、お母さんに振り向いて欲しくて大きな声で泣いていようと。あなたは美しくて、あなたは憧れ。わたしの憧れ。
どんな風に生きていたって、一生を夜のうちに終えたって、あなたの美しさを幼いわたしは受け取ったし、これからだって受け取り続ける。
『大阪、ミナミの高校生1、2、3』終演しました。
寝なきゃいけないのに考え事をしてしまう。
あいが言っていたことだ。
あいに言ったことと同じことを自分に言わなきゃいけないんだろう。
「考え事をずっとしていたら疲れるから、中断して寝ることにするって選択もたまにはしなよ。」
『大阪、ミナミの高校生1、2、3』終演しました。
三年間で出会った生徒たちとお別れしてしまったようで寂しい。
二度と会えない人もいるんだろう。
現役部員とは今年か来年、『大阪、ミナミの高校生4』をやろうと話したけど、
それはわたしにとっては再スタート。
ひとまず一旦、ピリオドがついた。
客席をいっぱいにできなかったのは悔しかった。
自分に足りないものもいろいろわかった。
沖縄での公演は是非再チャレンジしたい。
島元先生が「沖縄での貧困の問題は深刻です」と言っていた。
その言葉を採集にきたような自分もいて、そこに嫌気はさすが、でもやっぱり聞けて良かった。
でないと沖縄の気候と沖縄の人たちの懐こさや親切なところに見えなくなってしまいそうだった。
アルバイトの時給は安かった。物価は東京と変わらない。肉類は安い。
結婚は聞いたところ早い人がやっぱり多いのかな。出産も。
新垣さんによると、ズボンの女子高生も、スカートの男子高生もいるらしい。
松山も少し見た。
公演が終わってしばらくして、元大阪の高校生のりゅーとが、「高校生の頃は生きるのが楽しかった。明日が来るのが待ち遠しかった」とツイートしていて、そのことに動揺する。
わたしはもうずっと、高校生の頃の楽しい時間が、彼らの毒に変わってしまうんじゃないかと怯えている。
人生いつでも楽しいわけじゃない。
楽しかった時間、きらきらと美しかった時間が、もう得られないこと。それによって過去のきらめきが、自分自身に突き刺さってくること。
そんな苦しみは味わらせたくない。だけど過ぎ去った時間をもう一度与えることはできない。
「生きる力」って一体なんなのだろう。
意外とそれは、ぼんやりと何も考えず、遠くへと歩き出す力のような気がする。
感じやすい子、考えやすい子には、生きること自体が試練だ。
”大学生になりました。朝九時に始まる授業のために五時半に起きて六時半に家を出ます。電車に乗って乗り換えをして乗り換えをして乗り換えをして大阪駅に着きます。大阪駅に初めて着いた時みんなノロノロ同じ方向に進んで行くのを見て「うわ、ゾンビや」と思いました。わたしも今日からゾンビの一員になるんかーと思いました。”
”わたしは母を殴ったことはない。謝ったことはあるけど、謝られたことはない。でも毎日ご飯作ってくれるし洗濯物だって学費だって出してくれてて、不登校のことが申し訳なさすぎて後ろめたくて、怒りとかはなくて、怒っていいのかわからなくて、ただ、あー勝たれへんな、っておもった。”
”ぼくも今は大学生なんです。もう、大阪ミナミの高校生ではなくて、京都上賀茂の大学生です。大学で、ぼくは友達とバスケをします。休みの日とかに、ラウンドワンとか、体育館とかでバスケします。ぼくの好きな場所はスポーツのできる場所です。もともとスポーツは好きなんですけど、スポーツしてるとなんか青春!って感じがします。精華高校演劇部やった時に全国をまわって演劇をやって、それが青春じゃなかったってわけじゃないんですけど、あの時とはまた違った青春を感じています。”
”お前が家から出られない日には、俺が外に雪降らしたる。”
今回考えてもらったモノローグと、セリフ。もっといっぱいあるけど、一部だけ。
さようなら。でもまた演劇やれる時にはやりましょうね。
沖縄にも行ってね。地図で場所覚えてね。沖縄には面白いラッパーがたくさんいるから、次に行くときはそれも聞いてね。