2013年の12月
12月、ですね。
祖母が余命一年と宣告されて、約一年と一ヶ月が経ちました。
去年の11月、祖母は胆管に癌が見つかりました。
余命宣告なんてものはだいたいの目安で、
実際は三ヶ月くらいで死んでしまうんだ、敗血症になってるし。
と、いう日々を去年の今頃は過ごしてきたのですけど、
今年の5月だったかな、何度目かのステント交換で、そのステントがうまくはまったらしく、
そこから病状が安定して、現在に至ります。
それでも癌だし、痛みはあるし、祖母はえらく痩せてしまったんですけど、
でも生きててよかった。わたしが助かった。そう思います。
小さい頃わたしの帰りをおやつを作って待っててくれたのはおばあちゃんですから。
両親が共働きでもさみしいと思ったことがない子供だったのはおばあちゃんや兄たちのおかげで、だから死んだら困る。わたしにとって祖母はそういう人です。
えーと、オノマは今年活動が少なかったわけですが、その理由というのは実はほぼこれです。
自分の公演中に祖母が死ぬのがこわくて、自分を動かすことができませんでした。
ユニット主宰としてそれはどうなの? 思います。思いますけどね。
こんなに自分に甘くて、わたし売れないなって思いますけど。
おばあちゃんがいつ死ぬかわからないなかで、のうのうと演劇やってるわけにはいかない。そう思っちゃったんですね。
そうこうしている間に自分も癌が見つかって、
甲状腺癌は痛みも転移もほぼない癌だからどうってことなかったけど、
手術の後の体調がどうなっているのか想像がつかず、ますます演劇の予定は立てられなくなりました。
二十歳ごろにふと「人が死ななければいいのに」と思いました。
もともと年をとった人は好きだし、実際に体験した歴史を教えてもらえるし、むかしの文豪とか会いたいし、ずっと生きている人が何を考えるのか興味がわくし、ずっと生きていればいいのになぁ。
子供じみた考えですが、三十歳間近にしてその思いは増すばかりです。
尊敬するご老人が何人か鬼籍に入られました。
人が死ななければいいのになぁ。
まあ、こんなこと書いていますが、今年別に感傷的に生きていたわけではなくて、
そもそも介護は親や叔母夫婦叔父夫婦のチーム任せでほとんど手伝ってないし、
祖母とはお迎えが近いことをギャグにしたり、今年の冬「意外と生きてたねー」と言いあったり、
いい加減にやっております。
(ちなみに1月の趣向ワカヌと6月の劇作家女子会。あれは誘ってもらったから動けました。あの劇作家のアラサー女どもと各公演に関わって下さった皆様には「今年演劇につなぎとめてくれてありがとう」と実は言いたい。)
だいたいこのようなわけで、今年おとなしくしていたのですが、改めて。
趣向の活動を楽しみにしてくださる皆様、今年はすみませんでした。
これからも、オノマの勝手な都合で急にお休みすることがあるかもしれません。
その際にはなにかいろいろ身辺が大変なんだなと察してくださると、たぶんそれが正解です。
これから先は、祖母の死ぬ日でも止められないような演劇をするか、
祖母が死にそうになったら容赦なく公演中止にするか、どちらかでいこうと考えています。
願わくば大事な人の死に目には会えるような働き方で生きたい。(もちろん周りの人も同じように生きてくれていい。お休み出す。)